FED NKVD
部分的なディティールを検証
1-aのシャッター幕
迷ったが、どうしてもトタンのfedがフェイクなような気がして検証のため軽く開けた。
なんか変だと思ったら、普通と反対側がゴム引きされているのだった。この幕には文字がプリントされている....。初めて見たシャッターケースは力を入れるとすぐに歪んでしまうので、戦前フェトをばらすのはけっこう気を使う。
本当はこういう貴重なタイプをど素人風情が弄るのは禁止だが、大目に見てください。
修理か何かの時にシャッターケース内部を黒のエナメルで塗ったようだが、ちょっとこの人は仕事がへたっぴいであった。
シャッターのグリスは固化していなかったので修理の手が何度か入っているらしい、といってもウン十年前か。かなり時代のついたスレ具合から察すると最近の修理ではないだろう。小判型の距離計連動コロ。このコロの形状はタイプごとに、それこそ同タイプでも一貫性が無くて不思議な気持ちになる。
右側の二本のシャッター軸がグラグラだった。おそろしい、こわさなくてよかった。
ケースは真鍮のプレスの組み合わせなので非常にやわな造り、したがって修理の度、どんどん精度が落ちていくだろう。
ハッキリ言ってシャッターも距離計も調子が悪いが、いまさら弄ってオリジナリティーを損ねるのも気が引ける。こういう時代のついた物は単なる道具ではなくなっているし、撮れなくてもいいカメラだってあるのだ。
なお、距離計のトップカバーは、もしアクセサリーシュー痕があったらショックで寝込んでしまいかねないのであえて開けていない。^ー^
FED NKVDについては、ここ数年でずいぶん判ってきた(個人的に)。
ソ連の35mmカメラは、ドイツからはやや後発といえるが、それでも69年前にはもう精密カメラを大量生産していたのだ。
日本はいまでこそカメラ大国とはいうものの、スタート地点に向かってようやく歩き始めた時分であり、35mmのライカ判など、まだまだ一般的ではなかったろうからこの当時のソ連は実に目の付け所がシャープと言える。
実際、日本の報道現場では50年代でもスピグラがメインであり、こういったプロ達は失敗が許されないがゆえ目新しいフォーマットに拒否反応を示すものだが、こういう保守的なプロが35mmの本当の有効性を認めたのはある大列車事故で小型ボディーと明るいレンズの機動力を活かしたスクープが撮られてからである。戦後、見る見るモチベーションが下がっていったソ連工場労働者さん達のおかげで現代の日本のカメラ産業があると言っても過言ではないだろう。
もし、ソ連のカメラ産業に従事している人たちがコストや品質に寝る間もも惜しんで取り組んでいたら・・・。
今の日本は確実に違った方向でカメラを造っていたに違いない。
フェトの歴史 を書き留めておくと
最初の三台が1932年10月、オリジナル・フェト”ライカ1a”のデッドコピーといわれる。これは博物館級で、翌33年に新たに30台程度が製造されたといわれている。
1934年からFED-1シリーズは本格生産が始まり、a,b,c,d,e,f,g,c(S)の8バージョンまで発展して、FED-2に進化した。
「NKVD」はaからeまでの戦前のモデルを指す(と思う)。
FED-1は以下のように変遷した。
Fed-1a 1934-35
Fed-1b 1935-37
Fed-1c 1937-39
Fed-1d 1937-39
Fed-1e 1942-46「BERDSK」
Fed-1f 1949-53
Fed-1g 1953-55
Fed-1c(S) ???年代はいろいろあるらしい。
このうち特に興味深いタイプは以下の通り
■ タイプc(S)
1938-41年にあった1/1000搭載でfed 50mm/f2.0の高速レンズ仕様。ライツ・ズマールのコピーともいうが、どうだろう?試写した写真を見せてもらうとシャープな描写でわくわくする。
このc(S)タイプは、なぜか後のFED-2以降のシリーズにはなかった。惜しい。■ 1e
は戦時中モデルで、興味はあまりないのだが、ナチの侵攻で疎開先のシベリアで製造された「BERDSK」タイプは軍艦部に表示があるだけ。
赤旗労働勲章受賞記念の「RED FLAG」タイプもあった。このへんはフェイクが増えてきていそうだ。■ シベリア・タイプ
大きなノブの、おそらく手袋でそうさがしやすいように改造されたモデルがたまに出てくるが、これは実在したモデルなのか、後の創作なのかよく判らないがかっこいいので何度も手が出そうになった。
ソ連カメラ系のホームページや掲示板で「アブコラボが大量に作った....」という記事を見るのでフェイクが多いのだろうか。これは1-bのシャッター回りだが、52xxx#と47xxx#。
他の研究サイトとの比較検証の足しに。
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