fed NKVD1a + fed NKVD1b + ...and more

 

FED NKVD

戦前のフェト

フェトは同時代のスポルトと同じように真鍮プレスのフレームにシャッターが組み込まれており、修理などの度重なる分解組み立てで、精度がかなり落ちると思われる。

以前は、戦前のフェトはゾルキーより仕上げが良くて造りも良い、と言ういわれ方もあって、すっかりわたしもそう思いこんでいたのだが、そうでもないように思うようになってきた。
ゾルキーはゾルキーで今見るとなかなかよく、特に新品同様のゾルキーが手にはいると、その過激な安さに感心してしまうが、これは余談。

古いオリジナルレンズはばばっちい

1-aの外観の特徴は、簡単にあげると
軍幹部の基部の丸み、シャッターダイアルが大きい他、背面にまるいめくら窓がある...。

近手に入ったアクセサリーシューがないタイプ。
全身、鱗状にヘアライン仕上げが施してある"トタン屋根仕様"で最初期フェトはアクセサリーシューがない。
これはあまりにも表面がキレイなのでフェイクでは?と本気で疑った、というのも、ふつうの1-aにこの「トタン仕上げ」を施せば間違いなく商品価値がハネ上がるのだ。価格はゾナー付きTSVVSのフェイク程度とはいえ、ソ連製カメラとしてはしゃれにならない程高い。
疑い始めたらキリがないが黒塗りのルフトヴァッフェ・フェイクのゾルキーが100ドル程度で出来るのだから、この程度の加工は十分ペイするのではないかと思う。

#4000番台だが...

売り手さんは大変真面目な印象のかたであった。

かしレンズもよく見ると通常よく見る品ではなく、時代が付いているせいかある種すごみがある。シャッター幕は交換されていて、一瞬使えそうに見える。グッタペルカのシボは大きめで、通常の1-aと同じ感じ。
フェイクにしろ希少な1-aであることは間違いなく経年によりかなり人の手の入ったボディーでネジもマチマチであった。
距離計は薄くほとんど見えなかった。たんにハーフミラーが消えかけているのかと思ったが、1-aにはもともと距離計2重象の着色がないそうだ。しかし分離はいいらしいのでやはり消えかかっているかも。



試写はしていない、というかしなかった。シャッターが壊れていたのである。

 

ンズの違いは距離表示に注目したい。

みえにくい画像だが12時付近に最短の1mの表示があるのだ。
左、黄色のフィルターの入ったレンズは通常のFED レンズ、最短距離、無限遠のストッパー位置が約180度なのだが、右のレンズはほぼ360°全回転する。
最短距離は1mで同じだがヘリコイドの回転量が違う。また、ねじ込みフィルターは入らない。

 

1934-1955

Film size : 35mm, 24x36
shutter / Focalplane type" B(z)-1/25 to 1/500s.
Lens / fed(Industar-10?) 50mm f3.5
body 430g /Industar 50mm f3.5lens-115g
135x68x43 (with lens)

このフェトは8xxx番代。1-a、またはハイブリッドの1-bと分類されるのだろうか?
キャップも余り見かけないタイプで重く、鋳物のようでざらついた表面仕上げだ。



4ケタ代の、初期のタイプのフェトは、この8000番台が初見だったので、実に興味深かった。
1aはシャッターダイアル回り 基部が丸い。ダイアルも大きく、ダイアルの回りは形ににそってやや落ち込んでいるという仕様。

最近手にするものは良く磨かれているし、シャッターもメンテナンスされているものがほとんどで、オリジナルは珍しいと思うが、一度オークションに出ていたオリジナルは泥のような固化したグリスと風化寸前のシャッター幕、完全に曇ったグラスで使用出来るものではないようだ。

このフェトのファインダーはよく磨かれ、シャッター幕も交換されており操作もなめらか。特にシャッター音の良さに感心してしまった。このフェドはシリアルナンバーから類推すると製造後68年は経っているが、メンテされていればかなり使えるのだ。しかし光線漏れがなければ....のはなしだ。

オーストラリアのカメラコレクターとソ連カメラじゃないカメラについてのメイルのやりとりをしているとき、ふと、「古いフェトは持っているか?おれは持っているぞ。」と言う話になり、フェトのシリアルじゃんけん(どっちが若い番号か、で勝負する、通称「若バンじゃんけん」)をすることになって、このフェトが僅差(8000番代だが)で勝った。
若い番号帯のフェドは興味のあるヒトがいたので驚いたが、わたしが知っていて興味を持つくらいだからようするにとっくに世界的傾向だったのだろう。


この1-aを手に入れたころは、ebayではまだ戦前フェトと戦後の区別を付けないで売っている人も多く、タイプ別で値段が変わるという知恵が広くついていなかったから丹念に探すと1-aも混ざっていたのだが、言い換えるとお金を出してもなかなか買えなかったのである。2003年に入って相場はかなり値崩れ気味で、4000番台も100ドルしていないで落札されるようだからこの辺りの相場の変動は大きいようだ。

若バンのフェト探しは一種、トレジャーハンティングみたいで楽しかったし「ライカだったらえらい値段だ」などというダウナーながら屈折した楽しみもあった。
常連になれなかったのでこの辺のフェトは当時の荻窪プリズムでの評価は知らないのだが、数年前のソ連カメラコレクター界ではどういう扱いだったのだろう?
しかしやはり、ゼロ二つ、数百番代でアクセサリーシューのないタイプが欲しいものだ。シャッタ−幕が経年変化でメリメリになっていればもっとすばらしいのだが...。

代コインのような圧板、これは裏。
びっしりと共産党宣言が彫り込まれている。ウソである。

 

 

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