キエフ5の倍数

 

●KIEV-10 series
KIEV
FIVE CONTENTS
Kiev5
Kiev10,Kiev15
Kiev1

KIEV FIVE
5

0,15lenses
Kiev-5 lenses

00/10/12 Ver 0.95
02/06/20 Ver 2.50
02/06/23 Ver 3.0
02/07/29 Ver 4.0
02/10/27
02/12/15
03/02/07 Ver 4.1
03/04/09
03/04/17
03/05/24
03/08/01
03/08/13
   

 

Kiev-5

KIEV-5 1965-1973 + Film size : 35mm, 24x36
shutter / Vertical "Contax-Kiev type" B-1/2 to 1/1000s.
Lens / Herios 94 50mm f1.8(Jupiter 8Nb f2.0) 980g (950g)

シャッターダイアルの反対側には露出計の感度セット・ダイアルがある。 測光範囲はゴスト表示のみで”16〜250”、レンジは可変しない。
シャッターダイアルの隣、露出計の指標とフィルムカウンターは同じ窓で表示される。
この 窓はカマボコ型のレンズがはめてあり、斜めからも目視がしやすい(ような気がする)。
このメーターはキエフ3と同じ、露光計付きコンタックスとおなじ見方でいいようだ。

巻き上げレバーはしばしばスタックするらしく、e-bayでの商品説明にもこのことへの注意書きを見つけた。

ウチにある個体では今のところ1台だけがスタックしただけだから、何でもかんでもこの故障があるわけではないようだ。
このスタックはシャッターボタンを一度空押ししてやるとレバーの引っかかりが取れて、何とかレバー巻き上げができるもので、 レバーに頼らずともキエフ4/コンタックスと同じくシャッターダイアルで巻き上げ可能である。

ゴストは以前、諸説入り乱れていたが、もうしっかりした資料も出回っているようだ。
以下の表は、某掲示板で見た「65年LZOS製 ジュピター9のマニュアルに換算表がついてたから紹介するよ。」という書き込みを参照した。
65年ならばキエフ-5と同時期だ。

また、「http://www.fantastic-camera.com/~cmehappy/articles/gost.htmlに1978年1月1日以降、GOSTは新GOSTとなってISOやASAと同じ単位になっています。」
というのがあった。
これは ゼニット-18,19のボディーについているGOST/DINの表示プレートでも裏付けられる。

 
ASA DIN GOST
20 14 16
40 17 32
50-64 18 45
80 20 65
100-120 21 90
160 23 130
200-250 25 180
320 26 250
 

 

キエフ-5のバリエーション

近いシリアル番号帯であっても細部が異なっているものを見ることがあった。
これにより感じたことだが、大量生産品のような組み立てられていないのかもしれない。このため、細かいバリエーションはシリアルナンバーからは推し量れないことも多いようだ。

便宜上、タイプ選別したのが以下の表である。
*これは更新時に変わることがあるだろう。

  接眼部 トップカバー シンクロ シャッターダイアル アクセサリーシュー ブライトフレーム スプロケット解除ボタン 無限遠ロックボタン ゴストダイアル
いわゆる初期型で、おそらく#690万番代まで
Type-1 fig:2a,3a,4a fig:1b fig:1b fig:5b参照 50mm なし あり a'/a
#700万〜#710万番代まで
Type-2 fig:1a fig:2b fig:2b fig:5b参照 50mm なし あり a/b
#710万〜おそらく最終番号帯まで混在
Type-3 fig:1a fig:2b fig:2b fig:5b参照 50mm/85mm あり なし b
バリエーションの位置

fig:afig:b

fig:a :マウントの無限遠ストッパーが省略されたタイプ。これがないと案外不便だが、これは71年以降か? 
fig:b:トップカバーの「КИЕВ 5」の文字が大きい初期タイプ、この銘の彫刻部分だけでも4種類 発見されている。

トップカバー・バリエーション

fig:1

fig:2fig:3
初期型に見られる大きい、小さいはこんな感じである。*一部画像合成による

このほかシンクロ接点の位置、ゴスト(ISO)ダイアル、シャッターダイアル形状などで初期型と後期型に分けられる。
しかし、例によって初期型と後期型のパーツを使ったハイブリッドが混在するだろう。

以下は初期型、後期型を並べてある。接眼部の形状(接眼レンズも)、シャッターダイアル、タイマー、無限遠ストッパーなどに違いが。

fig:1b 初期型である。タイマーは旧キエフのままだ。ま、こういう仕様もあるのだ。
fig:2b は後期型。

fig:1bfig:2b

fig:3bfig:4b

fig:2b、fig:3b ボディーは同じ#71の仕様で変わらないが無限遠ストッパーのあるなし。なのだが、ちょっと撮影角度が悪かったので見えない。
。fig:3 は85mmブライトフレームがつくタイプであるが外観上は見分けできない。

fig:5b

fig:5b 手前はアクセサリーシューにアーセナルのマークの無い初期型。今のところ#69まで確認されている。
また、フィルム位置表示も初期のタイプには無い・・・。


底板

三脚穴は小ネジになったが裏フタはキエフ-4aと同じである。
完全な互換性がある。
つまりキエフ-5の幅、奥行きのサイズはキエフ4aとほぼ同じだ。

キエフ-5には専用の機構を持った底蓋がある
フィルム巻き戻しのボタンは通常のキエフ4は押していないと戻ってしまうが、キエフ-5専用らしいものはちょっと工夫があり、ラッチにより押しっぱなしになるのだ。これは便利。
手元に個体がないので掲載できないが他サイトでいずれ公開されるかも知れない。(2003-公開された:Link参照

ファインダーのブライトフレーム
50mmの囲みに85mmのフレームが追加されているタイプがある。
後述されるので簡単になるが、外観、シリアルナンバーでは見分けられないようだ。
実際見たわずかな数では71年以降の各年代に85mmのフレームが追加されているタイプが混在していた。

パララックス自動補正

基線長の長大な棒状のプリズム距離計からファインダーは大きく構造が変わってオーソドックスになっている。

距離計の調整は前面パネルを外し、セレン板をはずす。
縦ズレ、横ズレのアジャストが比較的簡単に出来るようになった。これは後で述べる。

このファインダーは日本人には青くて暗く感じるものの、歪みもなく隅々までクリアである。
全体ではおよそ35mmレンズ相当をカバーするはずだ。

ファインダー倍率はおそらく0.8xくらいだろうか。
今までのキエフと、ファインダー倍率は同じくらいのようだがキエフ-4と見較べると大きい分、遙かに快適で広大な景色が広がり大迫力だが、惜しむらくはアイポイントが近くて眼鏡をかけていると35mm相当の画角の恩恵は受けられない。

ブライトフレーム
ブライトフレームは50mmで、フレーム枠はくっきりしているがフレームラインが太く、繊細さにかける。
この大きなファインダーを活かしてどうせなら85mm、135mmのフレームもあればよいのに!、と思っていたらなんと!
バリエーションで85mmブライトフレームの付いたタイプを発見した。

キエフ5のファインダーは写真で見てわかる通りかなり青い。
40年程前アサヒカメラで青いファインダーは「暗い」というライカフレックスへの指摘でライカから猛抗議を受けたという事件があった。
このような青いファインダーは、日本人には暗いのだが目の青い欧米人は違うらしい…他稿、Zenit-19にも書きとめてみたが、最近 掲示板で読んだものに
「白人と我々じゃ、色の見え方が違う....日本人はプロビアが自然に見えて、彼らはアスティア?センシアか?)が自然に見えるとFUJI FILMの人が言っていました。 」というのがあったので、フィルム会社では継続して研究されていたのであろう。

距離計の調整
基線長はおよそ*59mm。キエフ4aの長大な基線長から約1/3ばかり短くなった
*58mmの記事あり。2003
(必要な基線長の出し方は、ファインダー倍率、0.8倍×焦点距離の二乗÷(画面の対角線の長さ×F値)を参考にした)

単純に精度が2/3下がるわけではないだろうが、物足りない感じではある。
50mmF1.8開放で、0.8×50×50÷(43(35mmの画面対角線)×1.8)=25.8mm、135mmf4では84.8mmだ。

理論上、キエフ-5の基線長は135mm開放には足りないが、実用上(最良の画質が得られるという2段絞ってのf8以上なら)では不都合ない数字だ。

キエフ-5は縦ズレも横ズレも起こす。fig-3

距離計の調整ビスはセレン板の裏にある。
向かって右、ブライトマスクの前にあるのは上下調整。

ネジロックも塗られていないので、ここまではいじってもいい、ということだろう。
最初に回したときはちょっと冷や冷やだったが、なにが起こるのか判らないネジを回すのは勇気がいる。

縦ずれ調整部分は、掲示板の書き込みからリアルタイムでKIEV NOTE 氏とOLD SOVIET CAMERA GUIDE氏によって確かめられた。こう言うときネットは大変便利がいい。

ところで、距離計付きカメラは、例えばライカや国産フラグシップ機でも以前は、と言っても、もうずいぶん前も前、約30年以上前のことだが、国内メーカーのサービスセンターやちょっとしたカメラ屋さんなどでカメラを持っていくと待っている間に距離計調整をしてくれていた。
子どもの時の話だが、デパートに連れて行ってもらうついでに立ち寄ったサービスセンターで、距離計が調整されるのを待った思い出がある。(いや、今思うと逆だったかもしれない、サービスセンターのついでに家族への目くらましでデパートだったに違いない。)

キエフ5の専用レンズ

専用レンズは標準が3種類。重厚な造りと仕上げで、アルミ鏡筒、黒塗装だ。
けっこう重くレンズを含むカメラの重量 はヘリオス-94付きで980g、ジュピター8nb付きが950gになる。

*マウントはキエフシリーズ共通の外爪バヨネットだが
残念なことに旧キエフ2、4aでは内側のバヨネットが干渉して付けられない。
全くのキエフ5専用レンズになっている。

●ヘリオス94 50mm f1.8
f stop : 1.8,2,2.8,4,5.6,8,11,16
09m to ∞ : 230g

●ジュピター-8 nb 50mm f2
f stop : 1.8,2,2.8,4,5.6,8,11,16,22 .
09m to ∞ : 200g

○初期型ジュピター-8 nb 50mm f2
f stop : 1.8,2,2.8,4,5.6,8,11,16,22 .
09m to ∞ : -g

●絞りはいずれも等間隔。
後期型は半段のクリックがある。

絞りブレードは、ヘリオス 94 50mm f1.8とジュピター 8 nb 50mm f2とも9枚で円形に近いが、最小に絞ると形が歪んでしまった。
●ヘリオス 94のブレードは「くの字」で、絞り込むとブレードが2重になるタイプ。
○ジュピター 8 nb はインダスター61Lの「ダビデの星」ようにはくっきりではないがギザギザした形になる。
初期型ジュピター 8 nbは6枚羽根


 

左から:jupita-8nb初期型、ヘリオス94,ジュピター8nb後期型
最近明らかになったバリエーション

イントロダクションのページにも書かれて重複するが、ほんの少し前(2002年の夏くらい)まで、ジュピター8nbは最初期型のみという誤った認識があった。
しかし、 2002年の夏くらいに立て続けにebayに現れたキエフ5のほとんどがジュピター8nb付きで、しかもデザインがリニューアルされたタイプであった。

前の年の2001年頃までのebayではヘリオス94付きばかりだったが、やはりebayのおかげでジュピター8nbとヘリオス94が混在していたことは確認されたわけである。
さらにヘリオス94 50mm f1.8と後期ジュピター8nb、この2つのレンズのシリアル・ナンバーは混在している。
一体どうゆう商品管理だったのか気になるが、ヘリオスはジュピターより高価だったのでは?と想像する。

ヘリオス94は#69xxxxxから確認されているようなので(Link参照)まとまった生産が為されるようになった頃からヘリオス94とジュピター8nb、2本立てで生産されていたように見える。
おそらく#73xxxxxの最終ロットまで両レンズは選べたのではないか?

初期型ジュピター8nbは#69まで確認され、標準レンズにヘリオス94が現れる1970年前後に後期型に入れ替わったのではないだろうか。とすると、後期型のジュピター8nbも同時期であろうと想像できる。

後玉の小さい方がジュピター8-nb

 

 

35mm Reflex. 24x36size EE automatic exposure meter. with selenium(10) and TTL with cds(15) / viewfinder in needle point. Gost : 16 to250(KIEV-10)to 500(KIEV-15)ISO32〜320??? Peacock-shaped steel blade focal-plain shatter. Shatter speed : B-1/2s to 1/1000s  Synchronizasion : X - 1/60s Standard Lens With : HELIOS-65,81 f2/50mm or HELIOS-83,53mm  Specific bayonet mount Dimensions: kiev10 : 158x102x56 845g / 1035gwith lens kiev15 : 158x106x58 900g / 1095gwith lens

http://taisyo.fantastic-camera.com CONTENTS

-Introduction
_1 ソ連製カメラのひとつのピークと考えてみる
__2 生産台数について考察する

_3 世界最初のEE一眼レフにして、史上初の宇宙カメラだったこと
■「世界」は東西に2つあったのだから「世界初」が2つあってよいわけだ。
■■ 史上初の宇宙遊泳で使われたこと
___不思議なデザイン + ちょっとだけキエフ-15を見てみよう

ケースをいくつか見てみる
Kiev-10,Kiev-15 automat Lenses
_ kiev10の絞り羽根は、きちんとボディーからコントロールされているんだろうか?

Introduction
_Herios -81 50mmf2 automat
__MIR-20-20mmf3.5 automat
___Jupiter -11 135mmf4 automat
____MIR-1-37mmf2.8 automat
_____Jupiter -9 85mmf2 automat
______ GRANIT-11 / 80-200mmf4.5

KIEV-10のシャッターがちゃんと切れる。それだけであなたは幸運だ!

_Kiev-10とKiev-15 automat このシャッターを見て愕かない人がいたら、こっちが驚く
_KIEV-10シリーズはたいていこわれている
__なかなか写真を撮らせてもらえない
___私はキエフ10と15を修理してまで使うのだった
____修理に送ってから...

 

Introduction

ソ連カメラにいくつかあった絶頂期のなかで最も華やかで、キエフ-10はその頂点のように見えた。

かつてカメラには独創的で奇妙なカメラの進化系があった。
しかし最終的に現代に残った機械式カメラはオーソドックスなメカニズムのシンプルなカメラだ、だから- 奇貨おくべし - と言う言葉が生きてくるのだが…このキエフ10シリーズを知ることが出来るようになったのは21世紀になってからであり、ebayによるところが大きい。

ソ連製カメラのひとつのピークと考えてみる

KIEV10は、故障がついて回ったろうが、60年代のソ連製35mm SLRのフラグシップであったのは間違いない。

孔雀の羽根のように回転するメタル・フォーカルプレーンシャッター、独創的で、未来的なレトロと言ったらいいのだろうか、特異なフォルムのカメラである。
初めて手に出来たときにはずいぶんと興奮したものだ。しかし、…どれも満足に動いてくれなかったのである。

キエフ-10はあっという間に陳腐化したが
発表当時は世界最先端の一つだったのは間違い無い

コニカオートフレックスとはEEのSLRカメラとしてほぼ同着、発表年ではキエフ10が世界初のEEフォーカルプレーン一眼レフで、一時は「コニカのEEのパクリなのでは?」などと言う声もあったと記憶する。
このEEの露出制御方式はシャッター速度に応じて絞りが定点セットされ、プログラム範囲からはずれるとシャッターがロックされるオーソドックスな方式だ。
この頃のEEカメラの例にもれず、キエフ-10もシャッターストロークが重く、シャッターのタイムラグなどを筆頭に操作性は悪い。
しかしこのカメラの設計の指向は日本製一眼レフと言うより、やはりドイツに向いていたのだろうと想像する。

コンタレックス・スーパーのように絞りダイアルがボディー側にあり、ボディー側のみで制御するタイプでブルズアイの影響圏にあったカメラなのだろう。

びっくりするのがレンズマウントで、コンタレックスそっくりなのである。
そっくりなのだが、コンタレックスとはバヨネットの雌雄が逆である。
つまり、コンタレックスのカメラ側のマウントがレンズに、レンズのマウントがキエフ-10のボディーマウントになっていたのだ、なぜか。

絶頂期とともに化石化していく

それにしても1964年のフラグシップカメラにセレン・メーターというのは(開発に数年かかっていただろうということを考慮しても)ちょっと旧さを否めない。
こうしてみると、ソ連のカメラは絶頂期とともに化石化していったようだ。

キエフ-10発表前年の1963年、日本ではトプコン(東京光学機械株式会社)が初のTTL SLR「トプコンREスーパー」を発売し、カメラの露出制御はまた新たな時代にさしかかっていた。
とはいえTTL SLRが世界の標準になるにはもう3、4年かかるので、外光式露出計EEの一眼レフは当時としては決して旧くさいものではないが、TTL前夜と言える年であり、ほんの1、2年でこのような外光式露出計タイプは完全に陳腐化する。

日本製では前年の1963年にコニカから世界初のCdsを使ったメーターのEEハーフサイズカメラが、外光式の一眼レフではミノルタSR-7 やキヤノン FX など、この年あたりからぞくぞくとcdsメーター機が出ている。
この時代は、ドイツがカメラ光学王国から凋落し日本の一人勝ちのように言われていたが、実はソ連、東ドイツでも活発にカメラが開発されていたのが今になるとよく判る。
しかしソ連のカメラはあまりにもマイペースで、 キエフ-10はセレンメーター外光式のまま何と10年間も作り続けられ、1974年に発表の後継機キエフ-15でようやくCdsTTL機となったものの、EE機構はほとんど変化がなく、重たいシャッターはそのまま。
他のソ連製品ともども完璧に時代から隔絶していたのである。

以後、ソ連製カメラは生きた化石としての道を歩む。

生産台数について考察する - バリエーションなど

キエフ-10のシリーズは10、15の2機種であった。

キエフ-10は1965-1967年の間に生産されたtype-1、1967年後半からtype-2のバリエーションがありシャッター、ファインダーなどがモデファイされて行った。

type-1はファインダーがライカフレックスのような空中像式、type-2からスプリットイメージになる。
また、type-1ではシャッターに連動してアイピースに遮光板が
せり上がる。

希少で少量生産、短命なイメージもあったのだが、1964年のキエフ-10から1985年にキエフ-15が終了するまで合計でおよそ20年間も造られていたロングセラーシリーズなのである。

幻のカメラだったこともあって、生産量は少ないと思いこんでいたが、実際はどうなのだろう?

シリアルナンバーから考察してみよう
キエフ- 5、10、15ともシリアルナンバーは7桁(例外もあるが)
ソ連製カメラの通例ならば西暦のシモふた桁を表す2ケタの数字の後、下5桁に生産数を表すことになる。

下5桁には、「0」をアタマに実数4桁(#xx0xxxx)、5000から6000番代を確認していた。
この捨て番以下の五桁が生産数を表すならば4ケタ、つまり年間数千台の生産はあったのではないだろうか?と推量する。

毎年コンスタントに数千台の生産があったかどうか?だが、1964年製を示す#6400000代、#6500000代はほとんど出回っていないようなので、いわゆる量産試作時代があったのかも知れない。

次の#6600000代からが比較的よく見かけ、下4桁5000番代をネット上で確認した。
確認できた個体数が少ないから信憑性もあったものではないが、まったく今まで漫然とオークションウォッチしてしまったのが本当に惜しまれる。
(とおもったら、日ソ写真機連絡援護会 車寄せ喫煙所に、かなりの数のシリアルナンバーを送っていただいているので参照されたい)

*最高位の番号のみ掲載して、下二桁はプライバシー保護のため伏せた。
*このナンバーは随時新しい番号に更新され変化します、あくまで研究の参考程度として見てください。
*なお、このリストではtype-3を設けていない。分類出来るのはボディーの筐体2種類(type-1、2)を基にしたバリエーションと考えた。
type-1、type-2のハイブリッドも散見され、細かい分類もトライしてみたが脳死。

type-3を設けているold soviet camera guide“ロシアカメラのページであるが” http://www.asahi-net.or.jp/~hd9f-segs/に見られる分類は、シャッターの違いを含めたより細かい分類となっている。

(言わずもがなとは思いますが、これらはキエフシリーズのごく一部分を抽出したものであり、あくまでサンプルとして御覧あれ。これだけ集めたかたの労力もぜひ考慮していただいて、大切に見ましょう^^)

キエフ-10 キエフ-15
1 #65007xx #73004xx
2 #66055xx #74035xx
3 #67067xx #75068xx
4 #67068xx -以降 type2 #75067xxx
5 #68074xx #76066xx
6 #69062xx #77086xx
7 #70085xx #78075xx
8 #71071xx #79091xx
9 #72075xx #80096xx
10 #73064xx  
11 #74045xx  
 

64年がないのである。
68年に8桁が散見された。

75年は8桁が散見された。
謎?
これによると両モデルとも初年度は少量のようで、キエフ-10の64年発売は極めて少量の生産であったか、生産がなかったのかもしれない。
この数字を元に単純に積算していくと
キエフ-10、Type-1 : 12,600台以上、Type-2 : 34,000台以上
キエフ-15、58,800台以上
100万台以上造られた機種もあるソ連製カメラとしては少ないと言えば少ないほうだが、キエフ-10、15それぞれ10年あまり生産されているわけだから、各々合計で数万台生産されいてもおかしくないわけで、シリーズ全体の量的にはさほど希少性はないと考えられる。

輸出はほとんどされていないようだが、キリル文字ではない英語表記のキエフ10、15もあるそれにしても、ソ連とその周辺国だけでこのカメラが消費されたのだろうか?

ソ連製カメラのアルファベット欧文表記は海外向けだったといわれているが、ソ連崩壊以前はほとんどメディアに登場せず、モスクワのおみやげにキエフ-10という話も聞いたことがないのである。

世界最初のEE一眼レフにして、史上初の宇宙カメラだったこと

「世界」は東西に2つあったのだから「世界初」が2つあってよいのだ

kiev10キエフ-10は1964年、世界初のEEフォーカルプレーン一眼レフとしてデビューしているということになっている。

一般に世界初のEEフォーカルプレーン一眼レフとされているのは1965年発売のコニカオートレックスで、コニカ社史にもコニカオートレックスが世界初のEEフォーカルプレーン一眼レフである、としている、もちろんこれは間違いないはずだ。

というのは当時、「世界」は東西に2つあったのだから「世界初」が2つあってよいわけだ。故に、コニカオートレックスとキエフ-10は両者とも世界初のEEフォーカルプレーン一眼レフであるといえよう。

*EEカメラ自体は戦前にコダックのがあるし、一眼レフではエディクサにも見られるから、あくまで「EEフォーカルプレーン一眼レフ」として世界初であるということを明記しておかなければならない。

史上初の宇宙遊泳で使われたこと

さらにキエフ-10は、 当時全く話題にならなかった(はずだ)が、有人宇宙船ヴォスホート2で採用されたスペースカメラで、史上初の宇宙遊泳で使われたとされる。故障がちなイメージのあるキエフ-10の大きな勲章なのだが。
*(ヴォスホート2は1965年3月18日打上げ。 A・レオーノフ飛行士が史上初の宇宙遊泳を行った)

kiev10-ver1
この#69 type-1の個体にはアイピースシャッターの痕跡は認められなかった。

不思議なデザイン

不思議な雰囲気を持ったデザインである。
一見、派手でデコラティブだが実はたいへん簡素なデザインだ。

ディティールに目を向けて見ると、むき出しのネジは質実剛健な印象で、ボディーのパネル上下のハメ合わせの処理はデザイン的に未消化な印象もある。とくにエッジには切りっぱなしなところも多く、細部のディティールは大味で無骨な印象だ。

特異なデザインから、デザイン最優先の印象もあったが、合わせ目などに、先にも書いたが、デザイナーらしからぬ杜撰に思えるような処理もそこかしこにあって、じっくり見ているうちに案外技術屋が外観デザインの図面も引いたのかも知れないな、とも思うようになった。

ここで、ちょっとだけキエフ-15を見てみよう

キエフ-10からキエフ-15へのリニューアルだが、基本的な骨組みはキエフ-10とほぼ同じにも関わらずイメージがおおきく変わった。
キエフ-10の独特なフォルムはコンタレックス・スーパーに似たものとなり、ある意味逆戻りする。シルエットにしてみると直線が強調され、すっきりしたデザインである事がわかる。

kiev10−15

底板部分大きな変更はないが、普通の巻き上げクランクになっただけでキエフ-10に比べてだいぶおとなしい印象だ。
ダイアル部分などを見ると、操作性に重点を置いた改良だったのがうかがわれる。
ちなみに、この巻き戻しクランクはキエフ-5と同じパーツだ。
キエフ-15はホットシューが装備された。
キエフ-10 type-2は着脱式のアクセサリーシューで、しばしばアクセサリーシューのせいでペンタカバーに大きなへこみを付けてしまった個体を見かけた。 type-1のアクセサリーシューは不明。

キエフー15もまずまず丁寧な造りではあるものの、ダイカストのエッジは切削のあとも生々しく、パーツ処理は粗雑で仕上げにもう一工程足りない。これはソ連製カメラ全般

キエフ10シリーズのケース

初期のキエフ-10に見られたセミハードケース

fig-1:ビニールレザーのケースでスナップボタンで上蓋が外れる使いいいもの。
インナーは、真っ赤なスエードである。
あまり見ないものだが、ほかにも本革のソフトなガゼットケースなども。

fig-1: casecase

キエフ-10 ハードケース

標準的なケースでしっかりした革製のケース。濃い茶でクロームのトリムがありデラックスな仕様となっている。

fig-2:casefig-3:case

fig-2:上蓋は外れないタイプでおなじみのソ連製ケース。

fig-3:右のナメ革のケースは特別製らしい。
いかにも手作りらしく革の匂いも新しい上質なケースでスロバキアから2000年前後に購入した際、付属してきたものだ。
ツアイスやライカの高級なケース類とは趣が異なるが、キエフ-10が大切に扱われていたのがよく判る証拠のようなケースだと感じた。中はタンの柔らかい革張りで素晴らしい。

キエフ-15 ハードケース

fig-4:case
fig-4はKIEV-15のケース。
クロームのトリム付き、上蓋は外れないタイプでおなじみのソ連製ケースは同じだ。
10のころより色が明るくなった。この色味には私などは強烈に共産圏を感じる。
同色の硬質ラバー製の肩当てはあまり見かけないものであるが、ゴムが劣化して失われてしまうのかも知れない。

キエフ10のレンズ

先にも書かれたように、このカメラのレンズマウントはコンタレックスのマウントをアレンジしたようである。
外見はコンタレックスのバヨネットの雌雄が逆になっている。

キエフ-10には、標準セットでM-39マウント変換アダプターが付属していた。
M39ゼニットマウントも含めるとキエフ-10のシステムはずいぶん充実していたといえる。


つまり、キエフ10のボディー側にはコンタレックスのレンズマウントが、キエフ10のレンズ側はコンタレックスのボディー側マウントと瓜二つの形状なのである。
こういうところはソ連製カメラの醍醐味、こういう部分を面白がれる人にはたまらない魅力がある。

KIEV-10、KIEV-15の交換レンズは絞りの決定がボディー側にあり、レンズに絞りリングが無いため他のカメラにはマウントアダプターを介しても互換性がない。
先にも述べているようにZenit M-39のレンズがマウントアダプターで利用OKでありソ連製限定だが以外と汎用性がある。

フランジバックはおそらくエキザクタマウントと同じくらいである。

ほとんどのKIEV-10、KIEV-15の交換レンズの絞り羽根はこのカメラのシャッターのブレードと同色のきらきらとしたカッパーである。数十個のボールベアリングにより滑らかな軽い感触で絞り羽根が作動するが、クリックはなく一部のレンズでは絞った形は甚だしく不揃いになった。

レンズの外観にはバリエーションがある

ピントリングのローレットのデザインが縦縞のタイプ(60-70年代)と、細かいピラミッド格子縞(80年代)である。それぞれ、前期、後期と呼んで差し支えないだろう。

一例を挙げると、ジュピター-9では#80万代までは縦縞、#81万代から格子縞である。
大体この時期に代替わりしたのではないだろうか。

また、機能面でも後期では20パーセントほど前期よりも最短距離をかせいであり、ジュピター-11では1.5mから1.2mに、ジュピタ-9では1.2mから0.95mとなっている。Mir-20では35cmから18cmに、Mir-1については差異は未発見なので不明とする。

標準のヘリオスは、デザインがまったく異なる最初期型(画像無)と、縦縞のタイプだけのようだが、これは現段階では発見待ちだ。

ソ連製レンズの場合、名称のあとに、H(N)、M、などマウントを表す表示がある。キエフ10のレンズ自体には表示はないが海外のサイトで"A"を付けているところがあった。

kiev10 lenses 

では、標準レンズから書き留めておこう。

Herios -65 / Herios -81 50mm f2 automat
4 -group 6-

lens

標準レンズは二種、デザインが異なるネーム違い?がある。
上記のローレットのデザインにバリエーションはないようだ。
ヘリオス-81はキエフ-10、キエフ-15に共通の標準レンズである。
ヘリオス-65は65-66年のtype-1で見られた。
画像でそれぞれの最近接の距離に注目されたい。

lens lens
普通見られるコーティングはマゼンタ系が多いようだがこのヘリオス-81のような無色(白?)も見られる。
レンズ構成は4群だが後玉が多いガウスタイプのようだ。
#65、#81の数字は型番号であり、生産年や開発年とは関係していないはずだ。

キエフ-10のマウントはボディーのわりに小さいせいか、レンズはカメラに対して小さくデザインされアンバランスな印象だ。

kiev15 lens

1950年代はじめから西側、と言うか世界的に日本でもカメラメーカー各社の新機種のレンズマウントは大口径化した頃なのだが、キエフー10マウントの内径は41(約)mm弱、エキサクタマウントの爪を含んだ外径程度の小さめのものだ。KIEV-10は世界の趨勢とは違う方向に行ったのである。

MIR-20 automat 20mmf3.5
8-group 9-elements 490g  (これは後期型:初期タイプにはMIR-20Aと言う表記も見られた)

このレンズは前玉がフィルターリングより前に出っ張ってしまう特異なデザインなので、保護のためにもフィルターは必須だ。


ロシアカメラにまったく興味がないヒトでも
「でかいね!」と感想を述べてくれるほどの存在感である。

キエフ-10用のMIR-20は、最近よく出回っているMC MIR-20(M42マウント)の初期型タイプと同型になる。
現行タイプは、パーフェクトフード付きで後玉にM-28径のフィルターをねじ込むタイプだが、この初期タイプは95mm径の巨大なフィルターリングに、さらに100mm径の重いフィルターを付けるのでレンズ重量は490gにもなり、外観はさながら中判クラスのカメラに見える。

取扱説明書のレンズの構成図を信ずるなら、現行MC MIR-20と初期型MIR-20はスペックやレンズの構成は同じもので、例えばトプコンREシリーズのトプコール25mmレンズのようにフィルターが光学系に関係しているわけではないのだろう。
MIR-20は、かつては"幻"といわれていたこともあったが、いまやこのレンズはM-42マウントではお馴染みのレンズとなった。
ただ、2002年現在M-42マウントのMIR-20は払底しつつある。もっとも無くなったかと思うと市場にあふれるのはソ連製レンズの不思議な常だ。また、潤沢に市場に現れるのかも知れない。

キエフ-10では大きな前玉でセレン窓を隠してしまう(以外と影響ないようだが)。

一度しかみかけなかったが、MCタイプがあったようだ。
シリアルナンバーが見えそうで見えない。レンズのリングにはMir-20N(H?)となっているが...。 on e-bay 2001

...これを見ていて、いまさらながら日本に近い国の文字ほどなぜか読めない事に気が付いた。
せめてもの救いは数字が共通なので良かった、最短18cm というとフレクトゴンと同じ、これは「はがき」大の複写ができるくらいの近接性能だ。 初期タイプでは最短が異なる。


UV、イエローグリーンフィルター、フィルターリング、レンズキャップが 同梱。
キエフ-10の取り説はどれもフルカラー印刷できれいだ。

MIR-20は超広角のわりに被写界深度が浅いように感じ、パンフォーカスのつもりで絞っても描写も甘い印象なのだがこうして拡大してみると意外にシャープであった。このレンズ、というかカメラは扱い難くて、ピンボケを量産してしまい、すっかり目に自信をなくしてしまったが、プライベートのスナップに記念写真にと大活躍した。

周辺にいくにしたがってわずかふくらむ樽型歪曲がある。

   

よく言われることだが、ソ連製レンズはフレアが多い。
このMIR-20もフレアは激しい、最近のM-42マウントのマルチコーティングというMC MIR-20Mも、このMIR-20 ABTOMATとフレアに関しては大して変わらないように感じる。

*ところでこのレンズは右上の一部分に、はっきり像の流れと崩れたところがあった。
高倍率でスキャンして発見し、フィルム粒子をみて確認したのだが、まあ、半切くらいに伸ばさないと気にはならないと思う
が、このレンズは超高級品という思いもあったのでちょっとがっかりした。
何せキエフ-10のシリーズはソ連カメラの旗艦、フラグシップモデルで当時相当に高価なカメラであったということで、ロマンをもってしまったのだ。

Jupiter -11 135mmf4 automat

3 -group 4 -elements / 385g

 

いくらKIEV - Contax のレンジファインダーの基線長が長いといっても135mmレンズは一眼レフでこそ真価を発揮するというもの。
それにしても、ここはひとつもう少し大口径のタイル-11あたりがラインナップされていれば、と思わずにおれない。

この頃の流行りをソ連製もちゃんと心得ていて、スライド式の組み込みフードが鏡胴に仕込まれるのだが、このフードは引き出しても3cmほどの深さでたいして役に立たない。しかもストッパーが無いためカタカタ出たり入ったりしてしまい使い勝手も悪い。
このレンズの絞りもカッパーで、内面反射のためゴーストや写真の中心に点ができるホットスポットが激しかった。

 

MIR-1-37mmf2.8

5 -group 6 -elements /230g

M39のMir-1は変わった発色のものがあったので警戒していたが、このレンズはとてもフラットで解像感もボケも感じがよかった。大きさもちょうど好い。

いろいろなレンズマウントのあるMir-1の中でも、もっとも寄れるレンズで最短距離が24cmなので、メモにスナップにと非常に使いでがある。ちゃんとカメラが動けばの話だが…
世界で最初に宇宙遊泳したkiev-10にはMir-1Aが付けられていたという。

まだ後期型ローレットのタイプを発見していないのだがマクロ・フレクトゴンのように最短は18cmになっているだろうか?これは比較的フレアもなく使い勝手がよかった。
専用フードがあり、フィルター径は52mm 。このフードはわずかな違いだがバリエーションがあった。
(右のレンズはつぎに紹介するジュピター-9である)

 

Jupiter -9 85mmf2

3 -group 7 -elements /290g

ミール-1共々ソ連製レンズ好きには定評あるレンズである。
テーパー付き角形のフードが付属した。

他マウントだがジュピター-9では、80年代後期など白色系のコーティングが多く見られる。
カメラ側のせいかもしれないが、これもびっくりするようなフレアやホットスポットが見られる。
また、このキエフマウントの絞りの形は最小に行くにつれひどく歪む個体がある。そういうヤツは適正な絞り値になっているのかどうか疑問だ。

左:前期、右:後期で、コーティングも大きな違いがない。それにしてもキレイだ。おいしそう。


カメラにはシリアルナンバーが書かれた粗末な4色刷りのラベルが張ってある。
記憶が曖昧だが、たぶん紙製の外箱(パッケージ)もあった。

ZOOM TELE LENS : GRANIT-11 / 80-200mmf4.5

画角30° to 12° というズームレンズ、GRANIT-11 / 80-200mmf4.5は、KIEV-10に絞り連動しないプリセット絞りである。

キエフHマウントアダプター付きでも売られているようなので「KIEV10や15でも使える」といった程度なのかもしれない。このレンズには幻想を抱いてしまっていたのでプリセットの古めかしいズームだったことはちょっと残念だった。

キエフ/ニコンマウントGRANIT-11Hでよく見かけるが、ゼニット用GRANIT-11Mもあるらしい。
ローレットはゴムではなく総金属製でものすごく重いレンズである、重量は1kgくらいだろう。

回転式ズームで、絞りから上のレンズ群が上下する。絞り羽根は6枚、フード組み込み式。

シリアルナンバーが6桁、いつものように最初の2桁が年号を著すとすると下4桁、年間数千本出ているようだが一体どこに沈殿しているのだろうか?。

さらにめずらしいモノとして、もう少し短い150mm位のズームがあった。web上で公開されていたので御覧になった方も多いだろう。画像を保存していたつもりだったが何処かに紛れてしまった。

 

2004[2013]http://shinshu.fm/MHz/50.70/