Zenit and Zenit-S

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初の「zenit」と「S」は結構造りが違う。

ボディーシェルは軽合金ダイカストで強度も十分なようだ。

zenitのファインダーを覗くとタル型に大きく歪んでいる。これはレンズのせいではなくファインダーの歪曲、同時代の一眼レフにはよく見られる。

シャッターのドラム位置が動かせないのでプリズムを大きくすることが出来なかったのだろうが、この部分、この後50年ほど不変で、殆ど進化しなかった。

一眼レフでは視野率が低いのはあまり歓迎されないと思うが、zenitではシャッターやファインダー系を新しく設計したものはなぜか後が続かなかったようで、現行のゼニットは不思議なことに旧型のゼニットのままみたいだ。

この個体のボディー正面のネジ穴は2つだが中身のフレームにはfig:3にあるように4つのネジ穴がある 。(ひとつ隠れている)
最初のzenitにも4つのものと2つのものがあるようだが...、最近は4つネジのzenitをよく見かける。

シャッターユニットに狭苦しくはさまれたミラー、ファインダースクリーン

fig:1
左右に細いゴム足が出ている。もっとも残っていても経年劣化してしまい用はなさないだろう、さわると簡単に取れてしまうのでオリジナルを大切にする人は気を付けたい。
fig:2
かなり古びた遮光紙、挟まっていたのでそのままにした。光線漏れ対策は初めて見たが、やはり実際の使用に際してはやることはやっていたのだ。もしくは調整時のものか?
fig:4
示した部分にミラーのブレーキ(というかショックアブソーバー?)がある。ミラーの裏はフロッキングのための紙が貼られている。

こうしてパーツやダイカストのフレームなどを見ると、各部の造作はきれいで同時代の日本国産カメラと較べても遜色ないと思うが、カメラのグレードは大衆機クラスという感じ。

「高級機」の東ドイツ製、PENTACON/CONTAXなどを並べてみると
ひもで引き下げるミラー、ちょっとしたデザインの類似部分など興味深かったりする。


zenitのミラー復元の仕方

 

黎明期の一眼レフはみなそうだが、zenitも非常に独特な機構を持っていて感心した。

zenitは矢印に示す掛けがねがミラーに引っかけてあり、シャッターが作動すると、掛け金がはずれ、ねずみ取りのワナようにバネでミラーが跳ね上がり暗転するのである。
巻き上げに連動して内蔵された梃子(てこ)状のレバーでミラーを押し下げると言う案配だ。
zenit-sでは、シャッター部分変更とシンクロの設置でミラーは糸(!)で引き下げるように変更された。この糸は、見せると大体の人が笑うが、ここは笑うところではない感心すべきところだ。

 

トップカバーを開けたところ

トップカバーを外してやるとzorkiに建て増しをしたのがよく判る。
プリズムはぽろんとはずれる。
このボディーに合わせたペンタプリズムはやはり小さくなるのは否めない。

トップカバーはプレス板、かなり装甲が厚い。
注目は接眼レンズで、プリズムの接眼部分に近づけるために長く伸びて、プリズム断面に合わせて角度がついている、分解は面倒そうなのでしなかったが単玉ではない。
*取り説が手に入ったので見てみるとカット図があった。
接眼部はなんとトリプレット。この図ではプリズムの接眼面は垂直に描かれているがこれは実際は違った。

プリズムを考察する

を引くのは矢印のところ、プリズムの接眼部が垂直にカットされていないのだが、「こんなんでいいのか...」と感心した。

ここは内面反射防止上けっこう複雑な形状をしているものが多いが非常にあっさりとカットされている。従って鏡の端っこを見るようなプリズムの乱反射が出現しやすいはずだ。
この時代のカメラのプリズムはそれほど沢山見たわけではないけれどzenitのプリズムは単純明快な形状で実験材料のようだ。

ファインダーはマット、フレネルレンズは入っていないがコンデンサーレンズが強力なためこの当時のカメラとしてはけっこう明るいほうだが歪曲が大きく、見やすいとは言い難い。

*この個体はフルオリジナルではなく、修理か何かの手が入った跡があった。プリズムのてっぺんを押さえるのに緩衝材が使われた形跡があって、腐食するためか取り除かれていた。
というわけでこの固体はちょっと腐食がありファインダーを覗くとペンタプリズムの稜線が見えてしまっている。いくつか見たZenitもやはり線が出てしまっていたが、キャノンやニコンのようには酷くならないようだ。

 

黎明期の一眼レフを考察する
ンタプリズムが最初に商品化されたのは1950年、Jena ZeissのコンタックスSが最初となる。正像のペンタプリズムは戦後の発明品で、ハンガリーでの幻のレフレックスSが最初のものとされるがこれはずいぶん最近明らかになったことであった。

1950年代では一眼レフはまだまだ 特殊なカメラだった。しかしZenitのようにバルナックタイプのネジマウントレンズが使えて、鈍重なレフボックスを使わずに簡便に 接写、望遠撮影出来るというのは、頑迷にバルナックタイプのカメラを使う人に向けて一眼レフへの重大な啓蒙の役割も果たしていたのではないだろうか?

実際日本では、一眼レフを使って目から鱗が落ちたような体験をした人もいたようだ。日本では1955年にようやく市販品の一眼レフが登場する。
その市販第一号のミランダを使った報道カメラマンが一眼レフに対する新鮮な驚きを書き留めている。
Internet Photo Magazine Japan のBack-numberのページ(http://www.ipm.jp/index-j.html)に

第6回 はじめて一眼レフ『ミランダ』を使って驚いた
第5回 一眼レフ時代の始まり『ミランダ』
第4回 一眼レフ時代の始まり『アサヒフレックス』

がある。

他には、1955年11月と言う、日本では早い時期の写真雑誌にミランダの使用レポートがあり、ライカタイプと接写撮影のコストを比較しているのが興味深い。これによるとカメラ自体は高額だが、レンジファインダーカメラの接写設備費用、その保管場所、設置時間など総合的に考えて一眼レフは将来性が高いだろうと結んでいる。

一眼レフは特殊なカメラだ、などというと「そんなことはないだろ。戦前からエキザクタなどあったじゃないの」と反論されそうだが、日本においてはエキサクタはほぼ無視されており、1950年代の古雑誌などを調べると当時の一眼レフに対する嫌悪感、というか無知には驚くことが多い。

くに高級レンジファインダー機ユーザーは拒否反応が大きかったようで、いわく。「一眼レフではピントが合わない」とか、レンジファインダーより速写性に欠けるとか...、特にプロカメラマンなどは新しいものと見ると不思議なほど辛口になり驚くほど保守的な発言をしていて読んでいて笑ってしまう。

ともあれ、素人ユーザーにも一眼レフが簡易に手にはいるようになり、使ってみてようやく一眼レフのいいところが判ってきたというところがあり、日本では1960年前後のようだ。

日本でもペンタプリズムを使ったカメラの試作やペンタプリズムだけの製品はあったが、ペンタプリズム自体の生産体制は遅れていたようで日本でのペンタプリズム製品はレフボックス用ペンタプリズムで、カメラは世界から大きく後れをとって1955年のミランダTがようやく最初だった。

それ以前の ソ連ではかなり早い時期、ペンタプリズム商品化の翌年1951年から商品開発は進められたわけだが、商品化されたのが1953年とやや出遅れた感がある。

なにせ、この1950年代のカメラの開発スピードは現代では想像もつかないほど激しくて、最初のコンタックスSからニコンFまでほんの8年。わずかな期間でカメラも、それを取り巻く考え方も激変したのである。

1953年になるとフォーカルプレーン機の他に世界初のレンズシャッター一眼レフ、Zeiss Icon製のコンタフレックスが発売されている。
1960年代中頃にはレンズシャッター一眼レフは完全に陳腐化してしまったが、発売当時の1953年頃はレンズシャッター機のコンタフレックスは値段の高価さをものともせず世界中で大人気だったのだ。

1953年にはすでに一眼レフは多様化し始めており、zenitのデビューは残念ながら目新しさはなかったと思われる。

ただ、zenitの場合39mmのネジマウントでライカマウントのレンズが利用できたところが非常にユニークで、おそらくzenit開発目的は望遠、近接など、zorkiはじめレンジファインダーが苦手とする撮影手段用に、ライカマウント機のサブカメラとして使うのを前提にしたのではないだろうか。
保守的なカメラマンにはzorkiと同じ筐体のzenitはさほど違和感無く受け入れられたかも知れないし、鈍重なレフボックスや複写台から開放されたことで一眼レフの可能性に気がついたzorkiユーザーも多かったに違いない。

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