Zenit and Zenit-S

- Next 構造-

 

                   

1953(51)-1961
Film size : 35mm, 24x36
shutter / Focalplane type" B-1/25 to 1/500s.
Lens / Indaster-22、50(zenit-s)50mm f3.5
body 520g /Indaster 50mm f3.5lens-70g
135x75x90 (with lens)

このカメラ

ミラー、ファインダー回りの造作は取り出して比べてみたわけじゃ無いが、ゼニット122など最新(?)のゼニットとミラーの大きさ、視野率などもほとんど同じものみたいで「40数年間ほとんど進化していなかったのだろうか? 」と感心してしまった。もしや、シャッター部品も互換性があるのだろうか?

 

ーカーはKMZ、プロトタイプは1951年、市販タイプは1953年から。「C」と書いて「S」と読むzenit-sは1956年から。

黎明期のペンタプリズム一眼レフの1つで Zorkiのボディーにペンタプリズムとレフボックスを載せた、といった風情であり、両者のサイズ、シャッター系はほぼ同じ、したがって非常に小さい一眼レフに仕上がっている。

このマウントのカメラはクリスタル、ゼニット3...などに進化、リニューアルされサイズは少しずつ大きくなっていく。

最初のzenitはもっとも小さくてかわいいカメラでzenit、zenit-Sはおよそ10年間生産されているようだ。

zenit-sにはシンクロ接点とゾルキ-Cタイプのシャッタースピードダイアル、シンクロ遅延ダイアルが付くようになった。
以前、シンクロ遅延ダイアルをスローシャッターと間違えた。...はずかしかった。

Zenitはインスタントリターンミラー(クイックリターン)ではない一眼レフだが、この時代的には普通だ。
日本製一眼レフは世界に先駆けて一眼レフのクイックリターン化を推進したが、この頃の雑誌記事などを見ても、世界的にはまだまだクイックリターンには懐疑的だった事を示す記述も多い。

クイックリターン化することでのミラーの衝撃、機構の複雑化などを問題視していて、ほんの数年間だが世界的にはクイックリターンに本当にメリットがあるのか?と言う信じられない論議もあったようだ。

そんなクイックリターンではない当時の一眼レフはいろんな方法で暗転したミラーを復元していたが、このzenitはタイプにより2通り機構があり、最初のzenitは跳ね上がったミラーをレバーが押し下げ、次のzenit-Sは1本の黒い糸(!)が引き下げるというタイプである。

初期ゼニットは、ライカマウント径のマウントで、マウント径は39mm、もちろんフランジバックの違いでライカマウントレンズは無限遠は出ないけれどアダプター無しで利用でき、ライカマウントの50mmレンズを使うと名刺大程度の接写が可能になる。

現代ではわざわざライカマウントのレンズで接写する必要はないが、当時、ライカ判での接写、望遠撮影には大きな設備(と、その設備ための費用)が必要で、簡単におこなえる撮影では無かった。

接写、複写に専用器具を使わない一眼レフは特殊撮影の垣根を取り払ったといってよい。

とはいえZenitは、接写するにはカメラの視野率が低いのとスローシャッターがないのは辛いところ、しかしパララックスもなく、当時はライカタイプのサブカメラとしては重宝したのではないだろうか?

出についてはあまり資料がなかったが、1959年頃、カナダに何機種かソ連製カメラが輸出されておりzenit-Sはゼニスと名前を変えてインダスター50付きで99.50$(米ドルだと思う、カナダドルだったら、さらに異常な安さだが....)。

この頃日本製中級一眼レフが150$位で性能のわりに激安!とされていたから、さらにもっと安価な値段設定だったということになる。
ソ連製カメラは今と同じく、当時も異様な安さであったようだ。

このころは1ドル=360円、ドル建てではけっこうなお値段になるため日本では販売はされなかったようだが、カメラ、レンズは日本にも紹介されている。

日本ではスタルト以外のカメラが1959年の大阪国際見本市で紹介されていた。当時の記事を電子化しているので参考に。併設関連資料庫

下図は54年以前のzenitだと思う。このレンズは絞り表示がレンズ前面にあるインダスター-22。
この意匠のzenitはたまに売りにでるようだ...。
ほかのZenitと内容は変わらないと思うがとっても高いのだが。

- top -

Zenit-SとZenit備忘録

ウチはリサイクルが良く機能しており、飽きたら直に売ってしまう。
なので調べたいことが出来て必要なときにそのカメラがなかったりするのだが、Zenit-Sを買ったのは3回、交換レンズは初めてだった。

今回はMIR-1レンズを買ったので仕方ないから又ボディーも買うことになったのだが、以前は、けっこう幻のカメラ扱いで値段も高かったような記憶がある。

最初に買ったものも、さほど安くなかったが、先日数千円で2台もきれいなものがあったのでグッタリしてしまった。その数日前にわざわざ海外通販で買ってしまっていたのだ。

そもそもZENITに興味を持ったのは、ミランダという国産一眼レフのためだった。
国産初のペンタプリズム一眼レフ、ミランダは小型で持ちやすいライカのボディーと、レフボックスを合体させると言うアイデアから 生まれたのだが、そのものズバリがZENITだったというわけだ。でも、ミランダの方は実際はもう少し大きい。

ZENITは1951年の発表だが、最初に日本に情報として入って来たのはそれからずいぶん後だったようだ。 ミランダのプロトタイプもこのくらい無茶な感じがすれば面白かったのだが...。

1959年頃の古カメラ雑誌に「ソ連の新型カメラ...ゼニス、カナダで販売」という記事があった。
最初、誤植かと思っていたのだがZENITの輸出名はゼニスといい、その古雑誌でZENITをはじめてみたのだ。それを見てわたしはZenitをとても巨大なカメラだと思いこんでいた。

わたしは、ソ連邦と言うのは何でも「巨大」と言う思いこみがあった少年で、もとはと言えばダークダックス(か、ボニージャックス)のトークネタだったと思うが、「モスクワ公演に行ったとき、よじ登らないと用を足せないトイレがあった!」という話が刷り込まれていたのである。

それにダイエーなどで売っていたメプロゼニットが大型であったことも印象に強かったし、ペンタプリズムが乗っかった背の高い外観からペンタックス6x7を連想させたせいかもしれない。

ところが本当のZENITを実際手にとってみるとちいさなカメラであり、OM-1のような小型の一眼レフよりも小さく、 手乗り一眼レフというか、かわいいというか...。貧弱というか^^。

つくってから気がついたが、独りでぱくぱくするカメラは気持ち悪い。

しばらくして、先のZenit-Sは売ってしまったら、綺麗な最初のタイプのzenitを見せてくるヒトがいる。
最初のzenitは「s」とはまた違うたたずまいで、機構も異なるのだ。
それからというものzenit,zenitとzenitのことが気になって仕方がないのでけっきょく買ってしまうのであった。

しかし、最初のタイプのゼニットは、幻とまではいかないが手に入れにくいカメラだったはずなのに何故か今、普通に売っているのである。それもかなり安価で...。ソ連製はこういうところが不思議だ。

今回は中望遠を一緒に買って試してみることが出来るので、自分的には、「大丈夫」。
無駄なことはしていない!と自分に言い聞かせているが...。

といっている口が渇かぬウチに取り説欲しさにもう1台精進した。これは前のとレンズも年式も異なるから「大丈夫」。と自分に言い聞かせているのだ。
「大丈夫」...なのか。

さて、取り説は字は読めないが数字は判る、イラストではあったがzenitは#500万台から始まっているらしい。
黄表紙のソ連カメラ解説書には載っていないらしいが50年型というのが存在していたのだろうか。

ゼニットとは「至高」とか「天の頂き」「頂上」という意味だそうだが、とんがったペンタプリズムを山の頂上に見立てて付けられたのかも知れない。

- top -