キエフに関する徒然な備忘録
ソ連製らしくないソ連製カメラだからKIEVが好きだ、などといっているひとはいないだろうか...

うちなんかでいいんですかと。

2002年の最後に精進した1951年のキエフ-2とゾナーのセット。
それはもうきれいなカメラとレンズで
「すいませんねえ、きたないところで」
と、気を遣ってしまうほど上品なキエフ-2であった。

こう言うのをもってはしゃいでいると、「ほほう、どれどれ」と
一部の奇特なライカ人類さん達も興味を持ってくれるのだが
なにしろライカに較べると、いかに珍しいとは言えソ連製はおしなべて安い、今まで出会った大多数の人類の方々はキエフの値段を知ると鼻白んでしまうようであった。

これがゾナーだとかえってガッカリ、というところがキエフの深みか
もうゾナーなんてあれでしょ?その辺にいくらでもあるわけでしょう?ちゃんちゃらおかしくて。とかとか。

大切に使い込まれたていたものだと一目でわかるものに出会うと
身が引き締まるような思いがするのだ。ウチに来ちゃっていいんですか?とお伺いを立てたくなってしまう。

この稿終わり
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失敗しているんだが

日本人向けなんでしょうか?ドイツ人向けなのだろうか?
このような、おそらくボロボロのやつをなんとか再生しているいんちきなキエフも増えて来た。でもまあ、ブラックはもちろん、ナチス仕様は文句なくカッコイイ、物凄いミドリに塗られたものなどもけっこう肯定的に受け取れる。
それに....
この手のお土産用はきれいに清掃されているし、そこそこ調整されているようなので使用にはかえっていいかも知れない。
できれば本当にキエフ2でやって欲しかったところだが、4Aのキリル文字仕様というのも堅苦しく考えなければ、これはわるくないルックスで、あとは本当にはなかったルフトバッフェが欲しいところ。
この黒塗りはスゴイ。
後塗りの厚く盛られた塗装を削ってキエフのキリル文字を入れてあるのだが、e"が失敗しており、おそらくボールペンでレタッチしている。
そこだけボールペンインクの独特のテカリが見られるのだ。
たぶんもとはジャンク同然だったのだろうから、これを使い倒してやるのはコンタックス修理練習の生け贄となり、ごみ箱に捨てられたキエフへの供養になると言うものであろう。シャッターも結構調子がよい。

この稿終わり

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徒然に

キエフは10年ほど前、写真雑誌の広告で最初に発見したのだが米国、ニューヨークのケンブリッジというカメラ屋がキエフ88やキエフ4を自社ブランド(Cambron といった)にかえて販売していた。1990年前後であったので、キエフ4AMになるのだろう。それから少ししてウクライナが独立して、わっとばかりにキエフが市場に出だすのだが、そのころはまだまだ知る人ぞ知るカメラだったと思う。

広告には「NIKON オーナーへ!」とか「ハッセルブラッドをお使いのみなさん!」などというキャッチコピーが付いて、KIEV4AMは15,000円程度だったと思う。
しかしこの広告はイラストなのだが、どっからみてもニコンSPやハッセルブラッドにしか見えない絵が使われていてとってもインチキ臭いのだ。

*この広告のフェド5Cは、どう見てもニコンSPの写真である。合掌(-人-

1990年代初頭、今の東京くらい不況下だったニューヨークでは道ばたでもモノを売っている人が多く、かたっぽだけの靴とか、何処から見ても盗品自転車などにまじってカメラなどもたまに売っていた。そんなころウクライナがロシアから独立したのだった。

ウクライナ系経営の食堂、ダイナーなどは、独立した祖国を祝って三色の旗をかざってなかなか晴れがましいものだった。
そのころ、ウクライナから移民(か、就労目的オーバーステイ上等、というの)で着いたばかりの人も多くかった。後で聞いたのだが現金の持ち出しが制限されていたのでカメラや宝石、時計など持ってきた人が多かったそうで、路上販売でも旧東側の製品は何度か見かけた。


さらに

クリスマス前の寒い日だったが、ウクライナ系の24時間営業の食堂の前にお年寄りがキエフ88TTLを1セット持って立っていた。見たところ70〜80歳くらいだろうか。
TTLファインダー、フィルムバック、フィルター...、箱に入ったままで新品と言うことだったが、このカメラは人気が無くて他に冷やかしで見る人もいなかったから一見して貧乏そうなわたしでも、ようやく興味を持って眺める客ということで、すがるように...値段は100$だと言うのだが、初めてみるカメラ、しかもソ連製、しかも路上で、一万数千円は中判カメラの値段としては破格だが路上取引には高額すぎたのである。

この広告の店では
年が明けて一気に200$ほど値下げされた...
それでも当時のレートだと10万円近い。

箱から取り出して操作方法を説明してくれようとしたのを押しとどめてその場を離れたのだが、その時の残念そうな老人の顔、そしてその晩ホテルに戻って「かっときゃよかった〜」とジダンダ踏んだのだが結局2度と路上でキエフ88は見ることはなかった。エルニーニョの影響で異常気象の暖かい冬だったが、あのお年寄りはあの年、いいクリスマスを迎えられただろうか。
キエフ88がウクライナ製であると知ったのはそれから数年たってからであった。

この稿終わり

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キエフ88のこと

2002年タイプも出て着々と進化しているキエフ88。
Kiev-88CMというネーミングで一瞬、とうとうレンズシャッター機に?と思った人は多かったのでは???
この88-CMはペンタコン-sixマウントのタイプである。 この「C」、キリル文字で「S」、CM = SM = six mountという意味なのである。
フィルムマガジンがリニューアルされているから、special magazine かも?
いやいや、内部メカもリニューアルだからステキ・メカニズムかもしれない。
キエフ88はいつ壊れるか判らないので「博打」とか「ロシアンルーレット」とか言われているが
そう聞いてしまうとシャッターを切るたび、巻き上げるたびにハラハラドキドキで精神衛生上有害。
質感もチープだと物としての魅力が薄くて飽きるのも速いようでフィルムを2、3本 通したところで売り払ってしまった。


このカメラでのステータスはハルトブレイだろう。なんせ倍の値段だから。
2003年になって知ったが、さらにARAXというスペシャルが! オリジナルも旧88マウントタイプが併売されて、活気づいています。2002年はe-bayでは不人気だったのか、CMのせいか?旧タイプ88が大暴落していた。1600fタイプの非常にめずらしげなサリュートも100ドルちょっとだというのになかなか買い手が付いていなかったほどだ。

http://araxphoto.com/ 

此処のアバウトアスを見ると

ウクライナ、キエフにあるAraxFotoはe-bayも利用しているようで、キエフカメラ、レンズとアクセサリーの全てのタイプを生産するアーセナルの協力工場と言う紹介になっている。

「AraxFotoは、一群の資格のある技術者との完全な接触と{キエフカメラ、レンズと新しい技術的開発で彼らの仕事の非常に経験がある} エンジニアがいる。
したがって、我々はカメラまたはレンズのどんな部品でも修理することができて、本来のカメラのどんなバリエーションでもとアップグレードを生じることができる。
我々は、15年以上の旧ソ連とウクライナの生産とマーケティング経験を持った。
我々が ― しかし ― 国際的な写真市場の新顔であるので、我々の価格は我々の競争者と比較して比較的低い。」

ということで、複雑なお家の事情をかいま見られるようなキエフ-88の別ブランドであった。

此処のラインナップを見ると、マウント別で分けてありARAXはペンタコンマウントのみのよう。― KIEV-88CM ― KIEV-88SIX
という分類があるので― KIEV-88CM ― KIEV-88SIX はバリエーションらしいが???

Kiev C mount (breech-lock bayonet mount) compatible with:
― KIEV-6C
― KIEV-60
― KIEV-88CM
― KIEV-88SIX
― ARAX
― Pentacon
― Practisix
  Kiev B mount (quarter-turn screw mount) compatible with:
― KIEV-88
― SALYUT
― SALYUT-C

ハルトブレイの方はトラブルを抱えたのか連絡が取れないこともあったようで、一時信用がた落ちになっていたが
結局アーセナルに取り込まれたのか?ハルトブレイとまったく同じ仕様がアーセナルの88CMとなったり、経緯は複雑そう。

ハルトブレイの独自サイトはもう無くなったようだが確か、チェコか、スロヴァキアにアドレスがあったと思う。昨今のキエフ-88の隆盛はハルトブレイのキエフ-88のリニューアルが始まりだったのは間違いないんじゃないかと思う。

今のラインナップにあるシフトレンズ類はかなり魅力的。

この稿終わり

 

また話は2、4へ戻る・・・

小型カメラの両雄として戦前には日本でもライカとコンタックスは「どちらが優秀か?」などという論争もあったのは周知のとおり。
第2次世界大戦後、ドイツのパテントは公開され、以来ライカコピーが世界中で造られるようになったそうだが、そのなかでコンタックスコピーのカメラというのはキエフだけである。コンタックスは戦後のどさくさにまぎれて簡易にコピーできるようなカメラではなかったのである。

もっとも、どんな形にせよ子孫、係累を沢山残した方が種族は発展し繁栄するという理(ことわり)どおりライカは現代においてカメラの象徴にまで上り詰めたのだから人生どうなるかわからんもんだ。

ツァイスは自らの技術の高さにおぼれた…、というような事を書いてある記事があったが本当にそうかも知れない。コンタックスは技術とコスト、生産者とユーザーのバランスがうまくいかない工業製品だったのだろうか。

 

Zeissだから素晴らしいという

「キエフは古いもののほうがよい」という話も聞くけれど一概には言えないようにも感じる。
たしかに外観は、50年や52年製のキエフと70年代のキエフと比べてしまうと軍配は古いものに上がるけれどシャッターフィーリングはさほどの遜色は感じなかったのだ。
古いもの程滑らかで素晴らしいか?というとそうでも無いカンジだ。

最初のキエフは単なるコピーカメラでは無くて、ドイツにあったツァイスの工場施設ごと(ヒトも)ソ連に持っていったので事実上コンタックスであるというのはもう常識だろう。

ちょっと話はそれるけれど、中国でヤシカリンクスがずーっと造られ続けていたが、(香港のヤシカ工場から廃棄された工作機械を丸ごと密輸入したという)中国側では
「コピーでは無くてリンクスそのものです。」
と、威張っていたそうなので、もしかするとソ連人も同じような気持でキエフを生産していたのではないだろうか? リンクスはともかく、外敵ナチを打ち倒して手に入れた戦利品を、コンタックスIIaという世界最高峰のカメラを生産しているというのは、想像するにさぞかし誇らしい気持になったのではないだろうか。

ただし、部品精度も仕上げも時代が下るに連れて確実に低下していくのは触っただけでも感じられるところで、これがソ連の生産者のモチベーションを表しているとするとソ連崩壊は末端からも徐々に徐々に進行していったという判りやすい例になるのだろうか。
品質がどんどん良くなっていくべき!という 日本人的な発想から言うと逆のことが起きていたわけである。

またまた話がそれるが、日本の建築業界の問題のひとつに「請負制度」という、簡単に言うと仕事のまるなげ問題がある。下請けさんは安く安く賃金を削られて、一生懸命丁寧に仕事をしても出来上がりの良さを誉められるのはまる投げした親会社なので、現場の職人さんは仕事にたいして本当の誇りを持てずにいるという、ざっくり乱暴に言うと請負制度はそういう暗部を抱えているのだ。

ずいぶん前に聞いた話で新築なったビルの貯水タンクに小便をして完成を祝ったという職人さんがいたという。これからこのビルに集まるホワイトカラー達に向けて誰もいない屋上で、大空に向かって放尿していたのだ。
今は貯水タンクが屋上にある建物は少なくなったが、自分の仕事に責任と誇りがあったらこんな事はしないだろうし、絶対出来ないに違いない。

品質が悪くなったキエフを見て、この話をふと思い出してしまった。

これがビオゴンだとかえって...以下略。

*いつの間にかコンタックスと書いてあるより、キリル文字のKIEVほうに高級感を感じてしまうように...。キリリックのキエフ2は人気商品だから他のキエフよりちょっと高い。
オークションでも競争が激しい場合があり、首尾よく安価で落札出来たりすると、感激というちょっとした付加価値がついてくるのだ。キエフユーザーはキリリックにステータスがあるんではないだろうか。

しかし、10年後にナンダイもキエフを買い替えるようになるとはあの頃は夢にも思わなかった...。


最近都で流行るもの...、エクサのスプールはしっかりしていて便利。


思えば、ちょっと前までコンタックス系のシャッターは修理不能と言われていたはず。
それで、コンタックスなど「家一件と同等」といわれたカメラがツァイスのレンズが付いても数万円程度で買えたのだが、今やコンタックス系のシャッターの修理の技術も意識もずいぶん高まったもので、安かったコンタックスも安心とともに少し値段が上がったように思う。

それにしても、もはや日本で直らないカメラは無いのではないだろうか?
趣味の時代が熟して来たというか、ちょっと腕に覚えのあるカメラコレクターでもコンタックスのシャッターリボンを修理し始めている。

コンタックスに限っていうと、この難しいといわれたカメラの修理が飛躍的に技術向上を見たのはキエフの存在抜きには語れないように思える。
90年代の空前の円高の頃だと思うが、今までめづらしかったカメラがどんどん入って来た時期があったのは記憶に新しいところで、キエフなんかはそれ以前には日本のマーケットには見られなかったと思うが、それが故障品も多く入ってきたせいか数千円から手に入るようになって、この手の研究が容易になったのは間違い無いと思う。
ソ連製カメラのこういう「効用」は忘れてはいけないはずだ。

キエフも修理は可能だろうし、キエフ10なども捜せばやってくれるところもアルかも知れない。
もっとも修理代金はこの辺りのカメラに見合うモノでは無いだろうけれど、インターネットで海外の修理業者も捜し出せるようになったので
予算に応じて世界中の修理業者を選ぶことだって可能になったのだ。

送料を考えても割安な海外の修理業者を選択できるようになったことで選択肢は本当に広がった。
ほんの1、2年前にはこんなことは考えられないことでインターネットは、たしかに世界が変わるほどの威力があったということだろうか。

キリリックじゃないキエフ2は人気が無い....
51、2年製はエングレーブのち密感など後の時代のキエフと明らかに違ってうっとり。

コシナのアレとか、安原一式とか昨今のレトロ新製品カメラを見るにつけ、ソ連製カメラ、特にキエフ4には「ソ連の生産計画は間違いではなかった」と真剣に思うのだが、だからといってこれらのカメラをロシア人やウクライナ人がこのままずーっと造り続けてくれても実は有り難くは無いところがソ連製好きなヒトの複雑なところで...
最初からレトロなソ連製といえども新品より「古い」ほうがすき!なのである。

 

Film format - 35mm,24x36
Type - rengifinder , Same"Contax-mount" , With self-timer
Shutter - focal-plane metal curtain vertical shutter
B.2.5.10.25.50.125.250.500.1250s - Syncronization X point to1/25
Size:149x82x42.5 530g

 

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