EXAKTA

占領下のエキサクタ

 

第二次世界大戦、敗戦国ドイツは、アメリカ・イギリス・フランス・ソビエトの4カ国に分割占領された。(首都ベルリンは4カ国の共同管理)1961年にはベルリンの壁が築かれるなど緊張関係はまだまだつづくなかでもエキサクタはつくられ続けていた。

エキサクタのメーカー、イハゲーはソ連占領地域、ドレスデンにあった。
ツァイス・イコンもドレスデンにあった。 KWも。

ドレスデン、第二次世界大戦では大空襲により壊滅した東部ドイツ新5州のひとつザクセン州の州都。華麗な宮廷文化が花開いたバロックの町であり森鴎外の暮らした町である。
ザクセン王国の首都にしてエルベのフィレンツェと称えられ、18世紀には東洋の白磁に魅せられたアウグスト強王が推し進めたマイセンへ、ベルリンへ、チェコのプラハへ通じる町である。

 

 

未来的エキサクタ

 

エキサクタは世界最初の一眼レフであり、システムカメラの元祖であり、様々なカメラがその影響下にあるといえるはずだが、現在のエキサクタを取り巻く状況は実にひっそりと静かである。

下図、VX-1000は数あるエキサクタ中もっとも性能がよく、最も人気がないシリーズかも知れない。
この後にでる日本製O.E.Mのエキサクタを論外とするならば、だ。

 

VX-1000はこの角度から見なくては!!

VX-1000(500)の明快、かつポップなデザインに再評価を!!

1967年頃のカメラとしては、もう救いがたいほど時代から隔絶、まったく断絶してしまって
このエキサクタでもって旧東側の世界を想像するなら、まことに暗い世界と言えようか・・・。
このカメラが車一台分と等価なんて想像できますか?ええ?

ペンタプリズムファインダーもレンズも純正の取り合わせではないが・・・

これが一番かっこいい!!

ような気がする。

忘れられがちながら

VX-1000はクイックリターン機なのだが!!

 

この時代のエキサクタは旧東側カメラのなかでも最も優れていたはずであり、ソ連、東ドイツ、チェコスロバキア・・・旧東側で最高のカメラのひとつだったはずだ。

甲冑的エキサクタ

なんて甲冑なんだろう!

甲冑!!

まい。

言い得て名ではないか!!

よくみれば

後期のVX IIaのエプロンもこれまた甲冑っぽいではないか!!

 

 

Biotar , Xenon , Pancolar ・・・

 

基本のテッサーはなぜか無い。なくなってしまった。
テッサーより、トリオプランに走ってしまうのだった。
しかし、さらにトリプレットよりもやっぱりガウスタイプ のほうに走ってしまうのであった。

使いにくい!、これが第一印象であり、最終的な印象でもある。

 

「慣れですよ。」

そんな声も聞こえそうだが、これに慣れてしまうと、それはそれで問題がありそうだ。
なにせ、普通のカメラとはなにもかも逆だから。

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